「また無理するために治るを目指す」ことをやめたら随分と楽になった話

日常日記

同じような話を繰り返しているような気もしますが。さて、

メンタルに課題を抱え、元気と病気を行ったりきたりしながら10数年なわたくしの日々でありますこちらの雑記、元気な方もそでない方もおいでくださり感謝感激、日の暮れです。

病の受け入れ方に変化があって暫くですが、不調も幾分軽減されている今日この頃です。
何より、未来を考えて気が重くなるってーことがなくなってきたのがでかし。

以前の記事にて、これまでの生活を見直して 不調も含めた自分に合った組み立てをしていこうと先の見通しを立てておりましたが、これがよかった。

っていうような覚書です。
また調子乗って無理しようとした時に自戒となりますよう。

「また無理するために治るを目指す」ことをやめたら随分と楽になった

ってことで。
今までどう考えて療養期間を過ごしてきたか、考えが変わった今どう感じているかというようなことをつらつらと。

これまでは。。。

不調の最中、治療の先に目指していたものは、一般的な社会人としての生活でした。
とかくバリバリ働いて、普通に活躍することが目標。

それがある種モチベというか希望ではあって、それを目指して頑張ったこれまでの頑張りを否定するつもりはありません。
このルートでなければ経験し得なかった諸々ももちろんあって、それらも大事に思っているので。

ただ、自分にフィットしていたのかというと、そうではなかったのだろうと。

一時的に調子乗ってバリバリやれても、不調の波が来るたびに、その生活は難しくなって、安定して社会に身を置けていたとはとてもいえませんしね。

それでも繰り返した。

不調になるたびに、元気になったらまたバリバリサラリーマンするんやって思ってました。
それはある種希望ではあるけれども、一方で勝手に自分で縛りを設けていた側面もある。やはり深い深いところに「こうあらねば」があったのだろうと思います。
社会人なら、この年齢なら、そうするもの、そうあらねば。

見直したら、ラクになれた

そうしたこれまでの目標をある意味諦めた時に、「もう無理なことをしなくてもよいのだ」と自然と思ったことで、気づきました。
結局、また自分にとって無理のある暮らしに戻るために頑張って健康になろうとし続けてきて、それ自体にどこか負担を感じてきていたんだろうと。

これがすごく腑に落ちて。
すげ〜スッキリ!!
めちゃ気持ちが軽くなりました。

楽するために、ではなくて、無茶しないために、諦める。大事。

これを自分もずっと見誤ってきたというか、諦めることで自分はズルしようとしてるのでは??易きに流れているだけでは??と自責の念に囚われてしまってました。
肩の荷を下ろすことに、罪悪感を抱いてきた。
ホンマ真面目になってしまったもんやー。

そんなカチコチになった思考回路もいつか解れるといいな。

おしまい

さてお付き合いくださり ありがとうございました。

今後は「自分に合わせて暮らす」を軸に、丁寧に生活を組み立てていきたい所存。。。!!
まあ焦らず、じんわりと。

ではご縁がありましたら、またどうぞ。

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